フラの始まり
フラの始まりについて、一説にはマルケサスやタヒチ諸島など南太平洋からハワイに移り住んだ人々から伝わったのではないかと言われている。しかし古代ハワイには文字がなかったため、フラに関する記録がなく、いつどのようにしてハワイでフラが踊られるようになったのかについては明確なものがない。
文字を持たなかった古代ハワイでは、神々への祈りや物事をチャント(祈りの詠唱のようなもの)に合わせて身振り手振りで伝えられた。
自然や神々への祈りはとても神聖とされ、「ヘイアウ」と呼ばれる神殿の中で男性しか踊ることができなかった。
フラ禁止時代があった
18世紀にキャプテンクックによりハワイ諸島が発見され、西洋からキリスト教の宣教師たちもハワイにやってきた。
それまでハワイの人々はハワイ固有の神々を信じ生活をして祈りとともにフラを踊ってきたが、宣教師たちはハワイの神への信仰を抑止するため「フラはみだらな踊り」とし、フラを踊ることを禁止した。それは19世紀始めのことだった。その後約50年間公の場でフラを踊ることは禁止されていた。
しかしそのような中、それに従わない人たちにより、フラは人目につかないところで踊られていたり、人形のようなものを用いて踊り方を忘れないようにしたり、密かに受け継がれていた。
フラの復活
フラが再び公の場で踊られるようになったのは、カラカウア王が即位した1874年以降。
カラカウア王は西洋の文化の良い面は積極的に取り入れた一方、ハワイの伝統文化を非常に重んじていた。自らの即位式ではフラが取り入れられ、盛大に行われた。それによりフラが完全に復活したと言われている。
ハワイの伝統文化を再び引き戻した功績により、王はハワイの人々から絶大な支持を受けた。フラやハワイアン音楽を愛したカラカウア王は“メリー・モナーク(=陽気な王様)”と呼ばれ、現代になってから毎年ハワイ島ヒロでカラカウア王を讃える「メリー・モナーク・フラ・フェスティバル」というお祭りが開催されている。
ハワイアンルネッサンス
フラ禁止時代を経て、近代になってからカラカウア王により復活したフラだったが、現代になりハワイの観光地化により、アメリカ本土からの観光客向けにフラは踊られるようになった。
1950年代頃、ホテルのショーなどで披露するには伝統的なスタイルのフラは観光客の目には地味に見えるため、ハパ・ハオレソングといわれる「英語の歌」に合わせて、キラキラ光る派手で露出度の高いセロファンスカートで踊るフラもあった。
しかし、1970年代に「ハワイアンルネッサンス」という、ハワイ民族としての誇りや伝統文化を取り戻そうと、ハワイの民族意識を高める風潮が盛んになり、人々は再び本来のスタイルのフラに目を向けるようになった。そして忘れられかけていた「カヒコ」も本来の良さが理解されるようになり、今日に至るまで盛んに踊られるようになった。